まるいの日記

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人間に与えられた2つの選択肢

目次

 

最近朝が早いです。今日は4時半に起きました。

 

YouTube にアバタローさんの動画が上がっていたので、

 

見てて、気になったところをメモしました。

 

相変わらず偉人の名言等、メモするがの好きです。

 

頭に入らないので、メモって後で読み返すのです。

 

www.youtube.com

 

以下、上記動画の 22:22 頃から

 

人間に与えられた2つの選択肢

 

人生は残酷で無意味な苦しみに満ちているが

 

それでも我々は生きている

 

命を絶つ方法など誰もが知っているというのに

 

苦しみを恨み泣き言を言いながら

 

それでも我々は生きている

 

一体それはなぜだろう

 

この人生には苦しみよりも快楽が多いからなのか

 

いや、そうではない

 

誰もが皆、心の奥底で

 

自分の幸福のためには

 

あらゆる苦しみが必要だということを知っているからだ

 

だから、苦しくても、辛くても

 

我々は生きているのである。

 

そもそも人間は苦しみに慣れ

 

苦しみにおののかず

 

なぜ苦しいのか、何のために苦しいのかと

 

自分に問うのはやめるべき頃合いなのだ

 

いったいその質問にどんな意味があるというのだろう

 

苦しみと快楽は常に結びついている

 

そのことを君もすでに知っているはずだ

 

それなのに、誰もが苦しみの理由ばかりを知りたがり

 

その反対の快楽の理由については、何ら興味を示さない

 

こんなおかしな話があるだろうか

 

そんな人間に与えられた選択肢は2つだけだ

 

一つは苦しみを受け入れずに生きる道である

 

これは自分の個人的な幸福こそが真の幸福であるという

 

誤った認識から生じる態度である。

 

この場合、自分の苦しみの大部分が拷問となり

 

絶望と憤りが与え続けられるだろう。

 

そして2つ目の道は、苦しみを当然のものとして生きる道である。

 

他者の幸福を自分の幸福と認めることによって生じる態度である。

 

愛が少なければ、それだけ苦しみが増し

 

愛が多ければ、それだけ苦しみから逃れられるだろう

 

人間にとって唯一の喜ばしい仕事

 

それは、苦しんでいる者の手を差し伸べ

 

苦しみの原因である迷いから救うことだ

 

そのような愛の実践こそが

 

人間に奪われることのない幸福と

 

真の生命を与えるのである。

 

 

『人生論』トルストイ より

 

 

名文の後に駄文を読んで、その落差をお楽しみ下さい。

 

どこかで読んだことのある内容なので、歴史的偉人の名文だからといって、ことさら有難がるのではないですが、自分はことことを忘れがちじゃないか……と思うふしがあります。

 

自分の幸福のためには

 

あらゆる苦しみが必要だということを知っているからだ

 

 

苦と楽の落差が大きいほど、幸福感が増すという主張はよく目にしますが、仮に、トルストイがはじめに言い始めたのだとしたら凄いことです。

 

 

快楽の理由について何ら興味を示さない

 

全く興味を示さないわけではありませんが、確かに、苦しみの理由ほどは深く考えません。トルストイの洞察の深さを感じます。

 

 

「愛」という言葉を多用するあたりが西洋人らしいです。

 

日本語でよく使う「愛」よりカジュアルに使ってる感があります。敢えて言い換えるなら「慈悲」でしょうか。

 

 

引用部分を何度か読み返して、

 

「あれ? これ、般若心経と言ってること同じじゃね?」

 

と思うあたり、僕は日本人なんだなあと思いました まる

 

 

最後に余談ですが、般若心経の入門書としては、「般若心経秘鍵」がオススメです。

 

空海「般若心経秘鍵」 ビギナーズ 日本の思想 (角川ソフィア文庫)